Kolejkaogrodowaのブログ

印刷会社のサラリ-マンがコツコツ建設してきた庭園鉄道紹介のブログ

太田 庭園鉄道 建設記 その8 1991年 Tadeusz(タデウシ)氏との出会い 

1991年に家内の母国であるポーランドを里帰りに同行して訪れた際、南部のGliwiceからRudyまで運行していたナロ-ゲ-ジ線を撮影に行きました。この時、終点のRudyの駅で知り合ったのが現地の鉄道マニア、タデウシ氏でした。彼は自分が造った模型機関車を見てみないか、と近くの友人宅に保管してあったライブスティーブを見せてくれたのです。18インチゲ-ジ、4-4-2アトランティック軸配置のライブ機と機関庫、タ-ンテ-ブル、そして未完成ながら森の中へ延びる鉄道線路に私はすっかり魅せられてしまいました。

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ライブ機とタデウシ氏(右端)

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友人らと将来計画を練るタデウシ氏、左に機関庫が見える

決して物資的に豊かでなかった社会主義国でこれだけのことをやった人がいる。自分にだって栃木に両親の実家と土地がある。大した出来ではないが電気機関車もある。同じことをやってみたい。丁度この年、初めての自動車を買ったのも追い風になりました。栃木への行き来がやりやすくなったのと、その頃各地に出来始めていたホ-ムセンタ-の存在を知るきかっけにもなりました。そして2年後、ついに最初の1mの建設が実家でスタ-トします。